2009.12.27
2010年2月28日日曜日、新宿区立産業会館にて、台湾中原大学助教授の林昆範氏によるタイポグラフィ講演会を行います。今回「宋朝体と明朝体――書写
系と彫刻系書体の相剋」というテーマで、我々にとって理解することが難しい漢字書体における書写系と彫刻系書体について、わかりやすくお話をいただきま
す。ここで報告いただく林さんの研究成果は、明朝体、ゴシック体、楷書体しか選択肢を持たないこの国のデザイン界に大きな影響を与えることと期待していま
す。なお会場からの質問や意見を伺う時間を設けて、参加者と一緒にこれからのタイポグラフィについて考える会にしたいと思っていますので、ぜひご参加くだ
さい。
漢字誕生からの歴史を俯瞰すると、亀の甲羅や獣骨に文字を刻んだ時代があり、筆記のために毛筆や紙が開発されると、やがて書写の時代に入っていきます。さらに識字率の向上をみると読者階層が登場し、その需要に応えて板目木版を印刷版とする刊本が普及して文芸復興の時代を牽引し、一定の規矩と様式を備えた「書体」が確立されました。その間にはさまざまな彫刻用や書写用の用具が開発され、また王朝と支配民族の熾烈な興亡があり、広大な国土における地域性なども看過できず、それらのすべてが、ねじれあい、もつれあい、よじれあってきた歴史であったことに気づきます。すなわち刻字から書写へ、やがて版木彫刻がはじまり、それを母体として金属活字父型彫刻がはじまっています。ーーこの講演会では、こうした雄壮な漢字書体の歴史を、彫刻系と書写系との大きな系統樹にまとめ、その概念と視覚印象を整理しながら、漢字書体開発のあらたなパラダイムを獲得しようとするものです。
タイポグラフィ講演会 林 昆範氏
宋朝体と明朝体――書写系と彫刻系書体の相剋
日 時:2010年2月28日日曜日 13:30開場 14:00〜16:00
場 所:新宿区立産業会館 1階 多目的ホール →地図
会 費:1,000円 学会員500円 予約制
主 催:タイポグラフィ学会
協 力:朗文堂
申し込み:定員に達しましたので受付を終了しました。
ありがとうございました。
宋朝体と明朝体――書写系と彫刻系書体の相剋
古来、東洋と西洋のいずれにおいても文明と文化は、文字と書物を基盤として築きあげられてきました。また印刷技術による大量複製の手段を獲得すると、文字と書物は情報伝達と情報記録のメディアとして社会的役割を果たしてきたのです。
漢朝の時代に中国に伝来した仏教は、唐朝には全盛期を迎えました。また隋朝にはじまった国家試験の科挙の制度は、唐朝にいたってより整備され、印刷術もほぼ同時に成立しました。国力が強大な唐朝(618-907)に確立された印刷術は、文化が高度に発展した宋朝(960-1279)に入ると、書物の形態が次第にページ形式に固定されるようになって、印刷書体にも次第に均一化と標準化が目立つようになったのです。それまでの筆によって書写した写本の書物に使われていた楷書書体にかわり、木版印刷による刊本に使われるようになった彫刻書風の楷書書体を宋朝体とよんでいます。
いうまでもなく唐朝の写本や書物につかわれたさまざまな楷書体には、一定の傾向や伝統があり、それらを手本としてつくられた宋朝体という印刷書体の書風や特質もそれぞれに異なっていました。そのなかでも、南宋の政治と文化の中心地であった浙江・臨安(杭州の旧名)の臨安刊本は、多くの復刻本の書体を整理し、単なる形象模倣から抜けでて、独特の刊本書体を発展させるに至りました。こうした臨安宋朝体は、伝統的な書写系楷書体の構造から開放され、より読みやすい方向に向かいながらも、そこには濃厚に楷書筆画の特徴が残されていました。そうした機能性と造形性のバランスがよく取れている臨安宋朝体は、中国史上最初の印刷専用書体として、金属活字、写真植字の時代を経て、現在でも電子活字としての活躍が続いています。そしてこの臨安宋朝体は、標準または狭義の宋朝体書体と認識されているのです。
つぎの元朝(1279-1368)の印刷書体は、ほぼ宋朝の楷書系統をそのまま伝承しましたが、民間出版による印刷書体の手本になった多くのものは、当時の楷書能書家、趙子昂の名筆でした。そしてその影響は明朝の前期まで続きました。
明朝(1368-1664)前期は、元朝刊本書体の系統が継承されていましたが、明朝中期以後になると、文芸復興の気運のたかまりとともに唐朝の文学が復興して、宋朝刊本の覆刻(かぶせ彫り)が再び活発に行われました。とくに多くの古典を紹介した臨安刊本に覆刻が使われ、彫刻書風を加えた欧陽詢の楷書書体が印刷書体の手本になりました。
しかしながらこの明朝中期から、民間における出版産業があまりに急速に発達したために、それまでの、書体を書く能書家と、木版を彫刻する刻字職人との分業態勢が崩れてひとつになっていきました。すなわちすでに書家は木版に文字を書かずに、彫刻工匠が熟練した経験で直接文字を彫り込んでいました。その影響で、明朝後期の刊本書体からは、書の筆意と書風の表情がほとんどなくなり、文字造形はより単純な、縦線と横線との線構成に移行しました。こうした結果「彫刻系統の彫刻風楷書体」が登場して、これがすなわち明朝体の成立となったのです。いいかえれば、印刷の隆盛期の宋朝から、明朝体が成立した明朝の後期までの印刷用書体は、ひとつの壮大な「書写系統の彫刻風楷書体」という書体の脈絡と考えられます。それは宋朝体から明朝体に移行した過渡期の書体を含み、また広義の宋朝体書体ともいえるでしょう。(林 昆範)
林 昆範(リン クンファン)
学歴:日本大学博士課程芸術専攻修了 芸術学博士
現職:台湾・中原大学助教授、同大学文化創意研究センター主任
経歴:中原大学商業設計学科学科長、銘伝大学助教授
著書:「中国の古典書物」「元朝体と明朝体の形成」「楷書体の源流をさぐる」
など